ごあいさつ

さとまるLLP(有限責任事業組合)へようこそ!

さとまるでは、今まで価値化されていないものを発掘し、タダで提供していけるよう、メンバーみんなで活動をしています。
日本に暮らす私たちが持っていた懐かしい過去と、努力して生み出してきた輝かしい現代とを振り返り、「お金では買うことのできない豊かな生活」を、わたしたちと一緒に創っていきませんか?
(今日からあなたも、さとまるメンバーになりませんか?)

2011年1月27日木曜日

炭焼き体験合宿へ行ってきました!

長野県大町市旧八坂村へ炭焼き体験合宿へ行ってきました。
信濃大町から山中の雪道を走ること数十分。徐々に家や建物の姿は無くなり雪山の中をただひた走る。
本当にここで良いのか??なんて思っていると、ポツンと古民家が見えてくる。
ここは20数年前、集落整備事業により、人が住むことを許されなくなった集落。作業小屋としてしか利用することが認められない場所。
いわゆる廃村集落。今回の合宿地は山の中にひっそりとたたずむ、そんな庵での2泊3日の体験である。

現地に着いたのは昼時。大町ではいつもお世話になっているプロスノーボーダーの北村あやかさんがお昼の準備をしていてくれた。
荷物を降ろし、部屋に入ると今回お世話になる松島さんが出迎えてくれた。
挨拶と自己紹介を早々に済ませ、昼食。この時、松島さんがご両親のお話をしてくれた。
お母上は山での転落事故にて、その後はそこに受難碑として観音様となり山を見守られている。昭和末期である。
お父上は故松島功さん。お母上が亡くなられてからは、独り作業小屋となった古民家に住まわれ、炭焼きをされていたそうだ。
数年前の年末、山でお怪我をされたにもかかわらず、年末だからと年越し前にとその日も炭焼きに出ていらっしゃった。 朝、松島さんがやっているなぁ~とそのまま山仕事へ出かけ、帰ってきても炭窯の煙が出ていた。 いつもと違うと、見てみると窯の前で倒れていらっしゃったそうである。当時83才位であったと伺っている。

言葉に言い表せない何かを感じた。 炭焼きにかける魂、こんな簡単な言葉では表現がお粗末過ぎる。私の語彙の少なさを悔やむ。 最後の最後まで…
部屋にある振り子時計が、再び時を刻み始め一刻一刻と過ぎていく。
松島さん曰く「炭焼きが好きな親父だったんです…」
ご生前の写真を見つけた。
大町でお世話になり林業の勉強をさせて頂いている山仕事創造舎さんのHPにそれはあった。 山仕事山遊び:炭
最下段の松島功さん手の写真がそれを語っていると思う。 伝説の炭焼きと言われたそうだ。

前置きが長くなったが、私たちはその松島さんの炭窯で体験をさせて頂いた。 初日は炭にする木を程良いサイズに割ったり、玉切ったり、窯にくべる薪を集めたりした。 薪はつるを使い縛る。細い木から、太い木、様々な枝まで余すことなく集める。木のその全てを使う。 普段間伐の際、枝のことまではあまり考えていなかった。反省である。

木を割る作業も、都会に甘んじている体にはなかなか堪える。


二日目、炭窯から以前焼いた炭を取り出すことから始まった。ちなみに黒炭である。

というのも、炭窯の痛みを最小限にするため、次回の炭焼きをするタイミングまで、炭焼き後、炭は入れたままにするという。
今回取り出した炭は2年前の炭である。
僕は残念ながら、でかっ尻で窯の中には入れなかったが、入ったメンバーの話では、数年の時を感じさせない空間であったそうである。これも炭の浄化作用
か…
話しがそれたが、炭窯は土と石の壁によって閉じられている。この土を崩し、出た土と石は端によけ取っておく。

開いた中から数年前の炭が現れ、これを炭取り出し班が丁寧に取り出していく。
その後は昨日の木を中に入れ、並べ、また蓋を閉じる。

この時に先ほどの土を再び使う。水と土を混ぜ、粘土質になるまでこねる。
これを窯の蓋の隙間に埋めていく。
なんと無駄の無い…。


いよいよ火を着ける。
火は窯の中に勢いよく吸い込まれ、窯の奥部分の煙突部から煙を立ち上らせはじめる。
日は沈み始め、一先ずはここまで。
とはいえ、火は着け続けなければならない。数時間おきにチェックをする。

夜に二回、明け方に一回、そして、翌朝の作業。


三日目、この日はひたすらに枝を燃やし続ける作業であった。
窯の煙突からは真っ白い煙が立ち上る。木の水蒸気が飛んでいる最中だと言う。
このタイミングが大変重要で火を緩めることができない。ひたすらに焚き続ける。
そうこうしている内に、帰宅の時間である。


そう。今回で炭は見ることはできない。
この後数日間火を入れ続け、5日後位にお目見えできる状態となると言う。 その間、火を入れ続けるのである。

これだけの時間と労力をかける。しかも先代に限ってはお独りでだ。
毎回同じものには仕上がらない、常に変化があり、常に勉強である

とは、松島さん曰く。

海外産の炭ではなく、良い炭というのはこの様に手間隙がかけられている。 数日後の炭を見ることは楽しみである。

しかし、それ以上に、生きるということ…、働くということ…
語り尽くせぬ体験をさせて頂いた2泊3日でございました。

2011年1月25日火曜日

新春お味噌作り!

お味噌作りに挑戦しました!
1人だとなかなか敷居が高いけれど、みんなでわいわい作ると楽しみながら出来て嬉しい。


スーパー等お店に並ぶ商品たちは便利で簡単で、普段の私達はそれを買うのが当たり前になってしまいがち。

でも、自分で作れるものも沢山あるはず!

もちろん、買っている商品だってその先には作ってくれている人たちがいて、完成品だけを認識するのではなく、そういうことを忘れないでいたいものです。

私達の暮らしの中には、昔の人たちから受け継がれた知恵がまだまだ沢山生きていて、それは生活を豊かにし毎日を大事に過ごすことに繋がるものだなと最近よく思います。



今回は『糀屋団四郎』( http://www.dansirou.com/ )の手作り味噌キットで作りました。



では、お味噌作りの様子をどうぞ!
↓ ↓ ↓

まずは前日に下準備。

◆大豆を水に浸す。
大豆を2~3回洗い、3倍量の水を入れて一晩浸します。(8時間程)
2~2.2倍膨らみます。吸水する時に発熱するので、豆が煮えないように水は多めに!



そして当日。

◆大豆を煮る。
今回は圧力鍋で。
丁寧にアクを取り、落し蓋をします。圧力がかかったら弱火で15~17分。


メレンゲのようなふわふわ!のアク。




◆豆をつぶす。
煮あがった大豆をざるにとって水を切ります。
ふっくらつやつやのうっとりするような大豆くん。このまま食べても美味!

熱いうちにつぶします。
この時に混ぜるとすっぱくなるので注意!
つぶし加減はお好みで。細かいほど舌触りがよい味噌になるそうです。

100円均一で買ったマッシャーは、途中ぐにゃりと曲がってしまいました 笑。
だいたい潰せたら、後はバーミックスでさらに潰しました。



◆まぜる。
糀と塩をまんべんなく混ぜ、塩きり糀を作ります。

つぶした大豆、人肌に冷ました煮汁と塩きり糀をよーく混ぜます。
何ともいえない触り心地で「気持ちいい!」とみんな言ってました。

 ↓
出来上がり!



◆容器につめる。
出来るだけ空気を入れないように容器に敷き詰めます。
空気が入りすぎると、カビが生えてしまうそうです。
これがなかなか難しい!

 ↓
ラップを敷いて、塩で重石をします。



◆完成!
春ごろに天地返しをします。
直射日光を避けて静置します。(玄関あたりがおススメだそうです。)
冷蔵庫に入れると温度が低すぎて眠ってしまい熟成しないので注意です!
カフェラテのようなグラデーション!


夏ごろには食べられるそうなので、今から楽しみ♪

いただきます。  ~感謝をこめて~

前回好評だった、さとまる雪班鍋会&さとまるしぇを開催~!

今回もはるばる山梨から、ひでや君が車いっぱいに、山梨の特産物を持って来てくれました。
いつもながらですが、ホントに野菜がおいしいのです。
「本当の野菜の味ってこんなんだったんだ?」
「今月も楽しみにしていました」

朝取れたての、山梨の新鮮野菜を、都内で食べれるということで、今回もたくさんの食いしん坊&呑んべえが十数名集まりました。

その野菜た~っぷり使っての贅沢鍋。
今回の鍋は、2種類。
1つはキムチ味噌鍋。


もう1つは、豆乳鍋。

鍋が好きなのか、酒が好きなのか?
どちらも好きっと言うことで、か・ん・ぱ・~い!

都会と地域を結ぶ「さとまるしぇ」
地域の方々の気持ちを、農家さんのこだわりをみんなで共有し合う、大切な場。
作られた方の顔が見える野菜っていいですね。
みんなで感謝の気持ちをこめて、いただきます~!
都会でこんなにおいしいものが食べれると、自然とこんな笑顔になります。
旬が無くなりつつある今、本当の野菜の味を知らない今、食べもので笑顔を作れる
このような場を、今後とも続けていきたいと思います。





2011年1月6日木曜日

戦争が残した爪痕〜戦争のない社会に向けて〜


戦死者の墓・・・

農山村に訪れると、胸が引き裂かれるような気落ちになることがあります。

義明居士と信女。戦争に行って亡くなった男性と、その奥さんが眠っているのでしょう。横には海軍工作兵・・・昭和20年3 月17日・・・戦死行年33才 とあります。

昔から日本人は、森の中で生活していました。木とともに暮らし、水を大事にし、まわりの動植物と共存しながら、独自の文化を育んできました。その生活は、一言で「まずしい」とか「厳しい」などと決め付けられるべきものではなく、そこに暮らしている人たちの思いや宗教、信念などと密接に結びついた、生き生きとした命のある生活に違いなかったのではないのでしょうか?

そんな村の生活は、江戸中期末期、そして明治へと転換されていきます。
自給自足から商品作物が増えていき、製紙や製糸業によって森の木々が伐採された後には、毎日の生活には役立たない針葉樹の植林の林に変わってしまいます。それにより、「困窮する山村」が確定的になってしまいました。

まずしい村々からは、戦争に動員されたり、満州、果てはブラジルなどの植民地移民地へと移住させられていきます。

その結果、まずしかった村々から、大事な男手も奪い取られ、労働力を失った村は、その生命力も無くしていきました。そうして、限界集落や過疎地と呼ばれる今の村の姿となっていきます。


・・・
どれだけ、男がいなくなった家族は、厳しい生活を強いられたのでしょうか?
どれだけ、女子供だけが残された家を見ている老夫婦は辛かったのでしょうか?
もう、それは、現代の私たちには言葉にすることのできない、悲しい悲しい、でも、誰に言ってもどうしようもない、先祖代々伝えてきたものを生き殺しにされるような、苦しい苦しい気持ちだったに違いありません。

ここ百年の日本は旧石器〜縄文弥生時代から続く、数万年間かけて築いてきた文化・文明を放棄し、そして今、その土地まで放棄しようとしているように見えます。

「石炭石油を使った文明が好きですか?」
そんな風に、お墓から無言で問いかけられている気がします


・・・
もし、今、健在であれば、97才のおじいちゃんと、その奥さんである、おばあちゃん。
彼らが生きていれば、きっとその次の世代に文化を伝え、その文化を私たちが受け取ることができたのに・・・残念でなりません。


ビジネスモデルだの事業計画だのマネー主義では、はかれない価値の方が、庶民の生活にはずっとずっと多いし、そのために置き去りにされて、やられていない大切なことが、山のようにあります。今年のさとまるは、去年以上に、その価値の発掘と再興を、みんなで楽しくやっていきますよ〜!!

2011年1月2日日曜日

新年おめでとうございます。今年も「さとまる」で!!

旧年は、さとまるで活動することで、地域の方々からたくさんの知識と文化をいただくことができ、とても感謝しております。

北は北海道、南は四万十川まで行きましたね。
・・・
・・・
北海道の平取では、開拓に入植した方々の生活は今の大規模農業ではなく森の中の生活であったこと。そして、アイヌという今見ても素晴らしい文化・文明が息づいていること。
東北の紫波では、ブドウの剪定枝を使った竪穴の伏せ焼きによる炭の焼き方・使い方と、小規模な林家のトラクターを使った木の引き出し方・利用の仕方を。
千葉の富里では、北総台地の山間に存在する谷津田が今の田んぼに比べて多様な生物を育んだ稲作だったこと。そして、高い山がないことによる水資源の厳しさを。更科では、現代の生きていく力、生きる楽しさの乏しさとそのために行われている教育と。
山梨の甲州では、若者たちの新たな社会に向けた熱意とそれを支援する先達の経験の協力の形が始まっていること。また、戦後に始まった農業の形態では持続ができず、懐かしさのある新たな農耕が取り組まれていること。
長野の大町では、戦後の高度成長期に工業化に疑問を感じ、自然と共生するための教育を志した人がいたこと。そして、その気持ちが引き継がれ、美しい森を守っていく林業が行われていること。阿智では、自然資源を売りにして都市から若手を取り戻す試みが始まっていること。そして、そのために水力や木を使ってエネルギーを生み出す検討をつづけていること。
静岡の伊豆では、森と海との連携の大切さを再認識する活動があること。森を建材用林業だけでなく、すてきな小物やミツバチの蜜、そして豊かな海洋資源など多様な恩恵を受けられるように活動が行われていること。
奈良の上北山村では、今でも吉野・熊野に広がる深い森の恩恵を受けながらの豊かな食生活があること。そして、そこには南北朝の時代にあった悲しい過去と現代にも残る悲しい状況があること。
岡山の美作では、日本に住む私たちが美しいと思う棚田を復活させる若い力が盛り上がっていること。その豊かな生活と、そこから感じられる新しい協創社会のありかたと。
高知の四万十では、豊かな森があることによる豊かな川の存在と、その川からの恩恵による人々の生活。そして、その生活から生まれる思想・哲学・宗教の強さを
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東京という都会に暮らしてきた私たちにとって、日本のこの多様な地域は、本当に素晴らしい先生であり、教材であり、そして八百万の神が住む場所だな、と感じられた旧年でした。
それと同時に、どれだけ一元化された情報が作り上げたものであり、これから、多くの埋まってしまっている多様な生活・規則を掘りあげていく必要があることを知ったのでした。

本年も、よりよい「さと」の生活をつくっていけるよう、全力で活動を進めていきます。
ぜひ、みなさんも、同じさとの人として、一緒に活動をしていきましょう!