2011年1月6日木曜日

戦争が残した爪痕〜戦争のない社会に向けて〜


戦死者の墓・・・

農山村に訪れると、胸が引き裂かれるような気落ちになることがあります。

義明居士と信女。戦争に行って亡くなった男性と、その奥さんが眠っているのでしょう。横には海軍工作兵・・・昭和20年3 月17日・・・戦死行年33才 とあります。

昔から日本人は、森の中で生活していました。木とともに暮らし、水を大事にし、まわりの動植物と共存しながら、独自の文化を育んできました。その生活は、一言で「まずしい」とか「厳しい」などと決め付けられるべきものではなく、そこに暮らしている人たちの思いや宗教、信念などと密接に結びついた、生き生きとした命のある生活に違いなかったのではないのでしょうか?

そんな村の生活は、江戸中期末期、そして明治へと転換されていきます。
自給自足から商品作物が増えていき、製紙や製糸業によって森の木々が伐採された後には、毎日の生活には役立たない針葉樹の植林の林に変わってしまいます。それにより、「困窮する山村」が確定的になってしまいました。

まずしい村々からは、戦争に動員されたり、満州、果てはブラジルなどの植民地移民地へと移住させられていきます。

その結果、まずしかった村々から、大事な男手も奪い取られ、労働力を失った村は、その生命力も無くしていきました。そうして、限界集落や過疎地と呼ばれる今の村の姿となっていきます。


・・・
どれだけ、男がいなくなった家族は、厳しい生活を強いられたのでしょうか?
どれだけ、女子供だけが残された家を見ている老夫婦は辛かったのでしょうか?
もう、それは、現代の私たちには言葉にすることのできない、悲しい悲しい、でも、誰に言ってもどうしようもない、先祖代々伝えてきたものを生き殺しにされるような、苦しい苦しい気持ちだったに違いありません。

ここ百年の日本は旧石器〜縄文弥生時代から続く、数万年間かけて築いてきた文化・文明を放棄し、そして今、その土地まで放棄しようとしているように見えます。

「石炭石油を使った文明が好きですか?」
そんな風に、お墓から無言で問いかけられている気がします


・・・
もし、今、健在であれば、97才のおじいちゃんと、その奥さんである、おばあちゃん。
彼らが生きていれば、きっとその次の世代に文化を伝え、その文化を私たちが受け取ることができたのに・・・残念でなりません。


ビジネスモデルだの事業計画だのマネー主義では、はかれない価値の方が、庶民の生活にはずっとずっと多いし、そのために置き去りにされて、やられていない大切なことが、山のようにあります。今年のさとまるは、去年以上に、その価値の発掘と再興を、みんなで楽しくやっていきますよ〜!!

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