2011年4月13日水曜日

アウトドアデイジャパンに出店しました!




4月9日10日に代々木公園で行われたアウトドアデイジャパンに、
NPO響さんのブースで、さとまるも出店させてもらいました!

響さんは、明治神宮の中で元々自生していたどんぐりの苗木を植えたり、稲作をやったり、国際交流などをやっているNPOで、当日は活動内容の説明、メンバーの募集を行っていました。どんぐりの苗木などを展示されていて、癒されました。


その横では、ペレットや薪を使ったコンロを開発されている株式会社環の阪田さんが、ペレットコンロ"como" の釜で野菜蒸したり、ご飯を炊いてました。この素敵なコンロにアウトドアな人たちが興味深々で沢山集まってました。タジン鍋で蒸した野菜は絶品!



そして、お昼にはさとまるメンバーのエゾシカフェ店長(株式会社クイージ)がエゾシカの解体ショーをお披露目。プロの手で次々に解体され、あっという間に切り身になっておりました。
それから鹿肉をペレットコンロで焼きつつ、サンチュに包んで食べてもらい、沢山の方にエゾシカの美味しさを味わっていただきました!コンロも鹿肉も目立ってましたね。


その傍らでさとまるメンバーの私yoco(株式会社Bee Brand)は、はちみつを売りました。さとまるメンバーが用意してくれたパンケーキと、はちみつを組み合わせておいしくいただきました。おかげさまではちみつも好評で完売しました~

美味しいものを一杯食べ、今まで接点のなかったNPO響のみなさんとも仲良しになって、和気藹々と楽しかったです。こういうのもたまには良いですね。

みなさま、お楽しみ様でしたー

2011年3月24日木曜日

時代を超えて〜南朝に思いを馳せる上北山村の歴史


日本にも、マチュ・ピチュが!?

ここは奈良の南、吉野を超えた先にある上北山村です。
今は杉の森に囲まれた山村で、現在は役場や学校、工事関係に従事する人が大半の村です。

そんな村も、昔は、南朝の王子が身を隠し、御所を設けていたような吉野の里でした。
(歴史の勉強はこちら http://www.tokyo-kurenaidan.com/yoshino3.htm

神社仏閣を見に行けば、そのような歴史が残ってはいるのですが、もっと庶民に近い生活感のある姿が残っていないかしら、、、と今回は、地元の郷土資料館をのぞいてみました。

ありました!
この上北山村の西原という地区。今は、稲作はまったくやっていないのですが、ちょっと前には、お米をつくっていた証拠です。もちろん、こんな山あいの場所ですから、上の写真にあるような石垣を作って、棚田にしていたのでしょう。

さらに、過去の「上北山村報」をめくってみたところ、昔は、うなぎやうぐいなどが、1万9千kgも水揚げされていた、水産業が強い地域だと言うことも分かりました。

昭和三十年代までは、こんな豊かな村楽でしたが、この後、次々と産業発展のための発電用ダムが建設され、村の力は衰えていったようです。

この一枚の説明書きからだけでは計り知ることができない、この風土の魅力。まだまだ発掘していきたいですね。

7月7日の七夕には、「西原虫送り」という、他の地域ではあまり見ない、火祭りがあります。このような地域の民俗に興味がある方は、一緒に参加下さい。
参加名乗りはfacebookにて http://www.facebook.com/event.php?eid=193533924018179

2011年3月19日土曜日

甲州で山村耕作隊はじめました!「ジャガイモ」を植える〜

おまたせしました〜!
山村耕作隊、はじまりました。
コンセプトは単純。
「被災地の方々への食料&自分たちの食べる分を自分たちの手で作ろう!!」
そのためには単純明快な農作物=じゃがいも、かぼちゃ、豆、、などを作るのが良いだろう。(詳しくは、コロボックルのブログをどうぞ〜)
ってことで、早速、植えてみました。

甲州・塩山の談話室コロボックルの前の小さな畑に、ジャガイモを5kg弱です。これが、無事に育てば、7〜8月には100kg近くのジャガイモが取れるはず!!

育て方はこちら

全貌はすこーしずつオープンしていきますね(というより決まっていない(笑))

2011年3月18日金曜日

復興を元気にやっていくだけ!!

福島原子力発電所事故
東北地方太平洋沖地震
による被災を受けた、すべてのみなさま、そして、直接的ではなくとも間接的に被災を受けたみなさま、心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。

いままで何度も事故の危険性および地震による都市の危険性は指摘されてきたものの人の社会というものは方向を変えることが非常に難しい現実をつきつけられる結果となってしまいました。

でも、この悲しい状況をつづけていても、前に進むことはできません。
もちろん、この状況の責任を、一人一人の人間に転嫁しても解決する話ではありません。

いままで日本には、何度となく、このような「悲観に暮れる時代」があったに違いありません。でも、わたしたちの先祖の方々は、その時代時代ごとに、歯を食いしばりながら、その状況を乗り越え、やがて、お祭りなどを開催できるほどに豊穣な「さと」を築きあげ、そして、その幸せな時代を、すこしでも永くつづけられるように、みなで努力して生きてきた。そうやって、1000年も2000年も、いや1万年も、この日本という厳しい列島に暮らしてきた。そう思います。


ぼくたちは、そんな先祖が作ってきてくれた、裕福で便利な社会で、命の危険も感じず、自分の欲や夢を主張しながら、半生を暮らしてきてしまいました。

だから、もう、いいじゃないかと。
これからの半生は、後生の人たちに裕福で豊穣な「さと」を続けていくために、血と汗と泥にまみれながら、どんな厳しい環境であっても、笑顔を忘れない強靱で優しい日本の心を持ちつつ、生きていきませんか?


「さとまる」としては、いままでやってきた活動をつづけていきます。
いままで学んできたこと、多くの地域の方々と築いてきた縁脈、そして、この信頼すれば救われる、この風土を最大限に活かして、あたらしい永代続く社会を、こつこつと積み上げていきたいと思っています。

気がついた人から、動きましょう!!

さとまる 大藪政隆
twitter→http://twitter.com/#!/masayabupooh

2011年3月8日火曜日

丸の内朝大学春学期「アーバン木こりクラス」事前説明会開催しました〜!

東京のど真ん中、丸の内に青いツナギとハスクバーナのヘルメットをかぶって、行ってきましたよ。スタバでツナギという、かなりスーツの人たち(それも冬物)の中で、とっても目立っていました。
朝の7:30という早い時間に関わらず、多くの人(ほとんど座席は満員でしたね)に集まっていただき、本当に感謝です!!

事前説明会の内容も、どんな話をしようか、悩んでいたんですが、大学の先生のような真面目な説明をするよりも、「アーバン木こりクラス」で勉強したら(というか、朝、楽しみながら情報収集をしてもらったら)、終わった頃にはどれだけの事ができるようになるのか!?という、ワクワクするような話をしたほうが、さとまるLLPでの活動の楽しさも感じてもらえるだろうなぁ、と思って、動画・写真満載でお届けしました。

資料はこちら!

110306_木こりクラスプレ説明資料

会場でお見せした動画はこちら

伐倒風景
http://www.facebook.com/video/video.php?v=1865675402348
木のローソク(薪キャンドル)


朝大学でこうやってみなさんとお話する機会をいただいたので、いままで、さとまるLLPで培った知識・人の縁脈をフル活用して、みんなで朝の楽しい時間を作っていきたいと思っています。

「アーバン木こりクラス」に関する質問・ご要望などあれば、さとまるFacebookページでお待ちしていますので、ぜひお願いします。
http://www.facebook.com/satomarullp

2011年2月22日火曜日

貴重な体験づくし!馬をめぐる遠野の旅

2月19日、20日と岩手県遠野市に行ってきました!
寒さを覚悟して着膨れした我々でしたが、遠野はすでに春の陽気。一面の雪が日差しに輝くのを眺めつつ、思えば遠くに来たもんだ~♪と足取りも軽く、最初の目的地「クイーンズメドウ・カントリーハウス」へ。

今回は、馬と人との共生が長い間行われてきた遠野で、馬と生きることの意味や、運搬や力仕事の担い手としての馬を少しでも知ることが目的の旅でした。

雪にはまって、車が進まなくなるというハプニングに見舞われつつ、なんとか目的地へ到着。我々を待っていたのは、世にも美しい馬たちでした!



ハフリンガーという種のオーストリアの馬たちです。輝くプラチナブロンドのたてがみと、赤茶の毛並みが特徴。早速触らせていただきました。(本当は柵のなかに入るのは危険なんですが…)



美しい上に人懐っこくて穏やかな性格の馬たちに、さとまるメンバーはみな大喜び!奥に見えるのが、宿泊施設となる馬付き住宅「現代版曲がり家」です。



「曲がり家」とは、厩舎と住居がつながっている建物で、馬と人がともに暮らすことのできる伝統的な住宅です。クイーンズメドウは、馬を中心とし、エネルギー、物質が循環するモデルを目的としたプロジェクトで、敷地には畑や森、宿泊施設(馬付き住宅)があります。

森のなかで放牧されている牝馬が、森に自生する笹を食べることで、下草整備がされたり、馬糞を畑の肥料とすることで無農薬の米や野菜を生産するなど、馬によって自然にも人にもよい循環が実現していました。



今回、お話を伺った徳吉さん(左)。



畑は一面の雪。敷地はかなりの広さですが、通常は2名、必要に応じてもう2名に手伝ってもらうことで、全ての管理をしているそうです。

美しい馬たちに別れをつげ、午後からは、地元の有識者の方々と、遠野の現状や課題を共有していただきました。



参加いただいたのは、NPO法人「遠野山・里・暮らしネットワーク」の菊池さん、遠野市農業活性化本部、林業振興室長の大里さん、盛岡で馬の生産、育成、調教をされている「80(はちまる)エンタープライズ」の八丸さんご夫婦といった、各分野で活動をしていらっしゃる方々でした。

遠野では、地元での活動を都心に伝え、協業していく術がないとのこと。また、特有の文化や営みが失われている現状を聞き、さとまるとして、どう役立てるかの糸口を話し合いました。


翌日20日は、「地駄曳き」(じだびき)を見せていただきました。
「地駄曳き」とは、馬を使って木材を運搬する作業のことで、遠野では古くから行われていたようです。今では数名(&数頭)でしか行われていない、非常に貴重な作業。何よりもまず、馬の登場でメンバー一同、びっくり!



デカイ!!!
今回、お願いした馬は1.2トンある「第二こうはた」君(名前です)。山の中で伐採した木を何本も運び出すには、まさに馬力のある馬が必要なんですね~。でも、性格は穏やかな馬でした。

作業する山で、木を引くための装備をつけます。昔ながらの木と鉄でできたものでした。



木の下に、板状の鉄を入れ、鍵状の金具を木に打ち込みます。この間、馬は不安定な足場で、じっと人が作業を終えるのを待っています。



掛け声に合わせ、馬がグッと力んで前進しようとすると、静かに木が動きだしました。思わず、メンバーから驚きの声があがります。

雪深く木々の茂る山中では、スムーズに木は運び出せないので、木の下の雪を払ったり丸太を挟んで滑りをよくしたりして、少しずつ動かしていきます。



運び途中でも、止まるように指示されると馬はストップ。主の指示をじっと待つ第二こうはた君。


繰り返し行われる運び出しの作業。人間だったら、3、40人で動くかどうかといった数トンの木も、この馬は一頭で動かしてしまいました!



今回、地駄曳きを見せてくださった見方さん。今年で69歳とのことで、「70歳になってもやってられるかわからないよ」と笑顔で話していらっしゃいました。でも、雪の山道を歩くのは誰よりも速いんです!



今回、地駄曳きを手伝い、この旅をコーディネートいただいた岩間さん。馬の繁殖を行う、遠野のホープ☆



地駄曳きにおいて馬はパートナーですが、同時に自在に操ることもできないといけないもの。信頼関係と主従関係の両方を築くことが難しいのではないかと感じました。ただ、馬によって運搬することで山の奥地まで入っていくことができ、機械での運搬では山を切り崩さないといけないことを思うと、地駄曳きの方が合っている土地もあるのではないでしょうか。

今回は2日にわたり馬の魅力を知ることができ、馬と共生する厳しさと同時に、可能性も感じることができた貴重な旅となりました。




2011年2月17日木曜日

第2回 長野で炭焼き体験!

長野県大町市に炭焼きを体験してきました。
山梨イベントから長野に直行した我々を迎えてくれたのは、真っ白な雪に覆われた美しい山並み!
東京では見られない光景に、思わず車の窓を開けて見とれてしまいました。




今回も、松島さんのお父様が使っていた古民家にお世話になりました。
山深い古民家に到着したのは深夜だったため(その後すぐに飲みだしてしまったため)気づきませんでしたが、翌日探索してみると、古民家の広いこと!



奥の部屋にはぎっしりと炭の袋が積まれており、近くの炭窯で作られた炭の倉庫として使われているようでした。

早速翌朝、松島さんが焼いていた炭を出すところからスタートです。
窯の入り口部分の障壁を崩すと中にはぎっしりと炭が。1メートル弱の立派な炭が並んでいるのですが、ちょっと力をいれるとパキっと折れてしまうので、取り出す作業は慎重に慎重に・・・



窯の中には炭となった木のほかに、床と窯の側面、天井をそれぞれ覆うように「敷き木」とよばれる細めの木も入れられており、それらは窯から出さずに、次の炭焼き時もそのまま利用するとのこと。

窯の中はしゃがんで2,3人の大人が入れるくらいの小さなカマクラといったサイズで、炭を全部だすと、畳2畳分に山盛りといった量になりました。


※後日、松島さんより、この炭は40袋分の袋詰めができ、上出来!とのこと。

その後、今度は窯積め作業です。敷き木を入れつつ、今回は欅(けやき)と松を積め込みました。
これがなかなかの重労働で、窯の中ではずっとしゃがんだ状態で木を立てて並べていく者と、入口に木を運びいれる者と、最低でも2名は必要な作業。どちらの作業も腰にきます!

積め終わると、入口の奥に石と粘土で壁をつくり、ふさぎます。ここで使う粘土は、前回の壁を崩した土に、雪解け水を足して練ったもの。たき火をおこし、雪を水にもどします。



水を足して練ることで、何度でも利用可能な粘土になるそうです。この粘土練りが地味に大変! 水を含む土は重く、腰に不安を感じている私は、早々にギブアップ。松島さんも「この作業は、小さいころから、早く終わらないかな~と思いながらやってたよ(笑)」と言っていました。

すべてその場にあるもので、炭作りができてしまう点がすばらしいところ。それだけに、素人が作った炭と職人のものとの違いが出てしまうんでしょうね~。

壁の手前で火をおこし、3時間程度たき火をします。粘土と奥の薪を乾燥させるのが目的です。
この際、窯を傷めないように、燃やす枝を小さく折りたたみます。窯の天井の穴からはもくもくと煙が。穴を多少ふさぐことで、手前のたき火の火力がかわるのですが、ここも松島さんに塩梅を見ていただきながらの作業となりました。

松島さんは炭作りが全くの初心者である私にも、優しく作業を教えてくださいました。
小さい頃から炭作りの手伝いをしていたとのことですが、今は興味を持ってくれる人が少ないので東京から来てくれて嬉しいと、にこにこ話してくださいました。今回の作業はここまでのため、焼く作業(これがまた長時間で大変!)は松島さんにお願いし、古民家をあとにしました。



今回我々が作業させていただいたのは、実際に焼く手前部分となります。
初めて使う鉈(なた)のコツがわからず、いつまでも枝が切れなかったり、粘土と石が積めずに悪戦苦闘し、さとまるメンバーはみな泥だらけの炭まみれで、なんとか作業を終えました。

しかし手間をかけてつくられた炭は、使ってみると、本当に素晴らしいんです!
掘りごたつ内で炭をくすぶらせていると、暑くなって足を出すメンバー続出。電気こたつだとなかなか見ない光景です。しかも炭は一晩中熱を発し続け、薪のストーブよりも何倍も長時間もつ優れもの。東京のレストランやバーなんかで、火鉢が置いてあると暖かいし雰囲気もいいので、取り入れていく先が作れたらいいですよね。

その夜は、新潟県境に近い小谷村大網の火祭りを見に行きました。
八坂のパウダースノーとは違い、こちらは吹雪!寒さもひとしおで、火祭りには絶好の夜でした。このお祭りは、山にすむと伝えられる神や仏に、踊りや和太鼓を奉納し、自然の恵みに感謝するもの。


鬼役の若者たちは、ほぼ裸。寒さに震えながら、叫び踊る様は年に1度の根性試しといった感もあり、思わず笑顔で見てしまう光景でした。鬼たちの踊りとともに、どんど焼きが激しさを増し、ついには火の柱となって崩壊。吹雪も溶かすような熱気が会場を包みました。
それにしても、会場で配られた甘酒は体に沁みて、本当においしかった!


今回は、長野の深い雪のなか、薪や炭、火祭り、温泉などの昔ながらの熱にふれ、温かい体験を数多くすることができた旅となりました。


ごあいさつ

さとまる へようこそ!

さとまるでは、今まで価値化されていないものを発掘し、タダで提供していけるよう、メンバーみんなで活動をしています。
日本に暮らす私たちが持っていた懐かしい過去と、努力して生み出してきた輝かしい現代とを振り返り、「お金では買うことのできない豊かな生活」を、わたしたちと一緒に創っていきませんか?
(今日からあなたも、さとまるメンバーになりませんか?)